Internet

名詞

すべてのネットワークの母。1969年にARPANETとして初めて具現化された。これは米国国防総省の研究用テストベッドだった。その目標は核戦争に至るまでの混乱に耐えうる軍事的な指揮統制のためのネットワークアーキテクチャを開発することだったと広く信じられてきたが、これは神話である。実際には、ARPANETは当初から、当時希少だった大型コンピュータ資源を最も経済的に利用する方法として構想されていた。当時ARPAの長官だったRobert Herzfeldは、「核戦争を生き延びる」という神話を否定しようとかなり苦心してきたが、この神話はどうにも死んでくれないらしい。

当初構想されていたところでは、ARPANETの主な用途は、今でいうリモートログインやより洗練された分散コンピューティングの形態を支えることだったはずだが、電子メールという揺籃期の技術が急速に成長して実際の利用を支配するようになった。大学、研究所、防衛請負業者は早くからインターネットの人間同士のコミュニケーション媒体としての潜在能力を発見し、着実に数を増やしながら接続していき、学者、技術屋、ヒッピー、SFファン、ハッカー、アナーキストの風変わりな混合を結びつけた。この用語集の根はそうした初期の年月にある。

その後の四半世紀の間に、インターネットは多くの点で進化した。典型的なマシン/OSの組み合わせは、TOPS-10TOPS-20を動かすDECPDP-10PDP-20から、Unixを動かすPDP-11やVAXやSunへ、そして1990年代にはIntelマイクロコンピュータ上のUnixへと移っていった。インターネットのプロトコルはより高機能になった。最も顕著なのは、1982年のNCP/IPからTCP/IPへの移行と、1983年のDomain Name Serviceの実装である。人々がARPANETを中核とする相互接続されたネットワークの集合を「インターネット」と呼び始めたのは、この頃のことだった。

ARPANETにはかなり厳格な参加ガイドラインがあった。接続される機関は、国防総省関連の研究プロジェクトに関与していなければならなかった。80年代半ばまでに、参加を求めて押し寄せる組織の多くは、この条件に合致しなかった。1986年、National Science Foundationは5つの地域スーパーコンピューティングセンターへのアクセスを開放するためにNSFnetを構築した。NSFnetはインターネットのバックボーンとなり、元のARPANETの回線(1990年に正式に停止された)を置き換えた。1990年から1994年後半にかけて、NSFnetの各部分は主要な通信会社に売却され、ついにインターネットのバックボーンは完全に商用化された。

その1994年は、主流文化がインターネットを発見した年でもあった。ここでもまた、killer appは予想されていたものではなかった。むしろ大衆の想像力を捉えたのは、World Wide Webのハイパーテキストとマルチメディアの機能だった。その後、インターネットは唯一の本格的な挑戦者(ヨーロッパの通信独占企業に好まれたOSIプロトコルスタック)を退け、1980年以降の第二波の広域ネットワーキングの間に構築された多くのプロプライエタリなネットワークを自らの中に吸収しつつある。1996年までには、地球規模に拡張されたインターネットが次世紀の鍵となる統一的な通信技術になるだろうと予測することは、主流メディアでさえありふれたことになっていた。the networkも参照。