Whorfian mind-lock

[Lojban言語のメーリングリストから] ソフトウェアの設計は、ともに動作しなければならないオペレーティングシステムやハードウェアの能力によって、避けがたい形で制約されることがしばしばある。時には、開発者が特定の言語や環境(おそらく今や廃れたもの)から身につけ、決して捨てなかった精神的習慣によって、避けられたはずの形で制約されることもある。設計が、もはや適応的でない精神的習慣の結果である複雑さを発展させたとき、その開発者はWhorfian mind-lockに屈したのである。設計そのものが‘whorfされた’のだ。

たとえば、一部のUnixの設計は、ディレクトリ検索が線形であり大きなディレクトリでは高コストである、したがってディレクトリは小さく保たねばならない、という仮定によってwhorfされている。Whorfian mind-lockに屈するもう一つのよくある道は、ファイルやデータ構造全体をメモリに丸ごと取り込むのではなく、小さなワーキングセットで逐次処理を行うことである。ここでの隠れた仮定は、コアがあまり利用できず、仮想メモリがほとんどあるいは全く役に立たない、というものだ。Whorfian mind-lockを検出することは重要である。なぜなら、それは不必要な複雑さとバグを持ち込みがちだからだ。